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ケイティ・ペリー、「有名なことに疲れた」発言!

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ミュージシャンであるケイティ・ペリーは最近お疲れのご様子である。

というのもあまりにも人気が出過ぎ、その名声にうんざりしているという。

ミュージシャンとしての活動意欲はまだまだあり、仕事自体は好きだというが、周囲が騒ぎすぎているのだ。

「有名なのにはいいかげん疲れたわ。でも、創作には疲れていない。名声というのは、この仕事が生み出す最低の副産物。まるで繊細な生き物のようで、愛してくれるかと思うと、襲い掛かってくることもある」

このように語っている。

また、「ファンにとって親近感のある人間でい続けたいと思っている。ファンに会うと泣いてしまう子がいたりするんだけど、『落ち着いて。泣く理由なんてないのよ。噛み付いたり、襲いかかったりしないし、願い事を3つかなえてあげられるわけでもないんだから』と言って、一緒に楽しい時間を過ごしましょうって言うの」

と、ファンとの交流についても、もっと身近な存在でありたいと願っているようだ。セレブ扱いされるのも嫌なようだ。

一方、ラッセル・ブランドとの離婚については結構割り切っているようだ。
「ほかの人がどう思っているかを気にするのはずいぶん前にやめたわ。みんなを満足させることはできないもの。そんなことをしたら、自分を見失うだけ」とかなり冷静な様子だった。

セレブに上り詰めたケイティだが、その名声よりも、ミュージシャンとしての自分やもっとファンを大切にしたいという気持ちと反比例していることに嫌気がさしてしまっているようだ。



【ケイティ・ペリー】
キャサリン・エリザベス・ハドソン(Katheryn Elizabeth Hudson、1984年10月25日 - )はケイティ・ペリー(Katy Perry)の芸名で知られるアメリカ合衆国の女性シンガーソングライター、ミュージシャンである。2007年にインターネット上で発表した『ユーアー・ソー・ゲイ』で有名になり、2008年のシングル『キス・ア・ガール』で飛躍した。

ケイティはサンタバーバラのクリスチャンの家庭に生まれ、ゴスペル音楽のみを聴いて育った。

2001年にケイティ・ハドソン名義でゴスペルアルバムを発表している。2004年にプロデュースチーム「ザ・マトリックス」のプロデュースの元でアルバムをレコーディングしたが、それはリリースされなかった。2007年にキャピトル・レコードと契約し芸名を「ケイティ・ペリー」として、メジャーレーベルからの最初のアルバム『ワン・オブ・ザ・ボーイズ』をリリースした。

2010年発売のアルバム『Teenage Dream』からシングルカットされた「California Gurls」、「Teenage Dream」、「Firework」、「E.T.」、「Last Friday Night (T.G.I.F.)」、 「Part Of Me」が、米ビルボード総合シングルチャートで1位を獲得。この記録はアメリカの歌手マイケル・ジャクソンがアルバム『Bad』で達成した記録を上回る、1枚のアルバムに収録された6曲のシングルで首位を勝ち取った史上初のアーティストとなる。

ケイティ・ペリーはカリフォルニア州サンタバーバラでキャサリン・エリザベス・ハドソンとして生まれた。牧師の両親の2番目の子供として生まれ、姉と弟がいる。また、ドイツ、ポルトガル、アイルランド、イングランドの血をひいている。ケイティはキリスト教系学校に通った。また、子供の頃はサンタバーバラのレクリエーションホールでダンスを学び、プロのダンサーに指導を受けスウィング、リンディーホップ、ジルバから習い始めた。 15歳の時に伝説のロックバンドクイーンの名曲「キラー・クイーン」を聴き衝撃を受け、音楽の道へ進むことを決意した。

2009年からイギリスのコメディアンであるラッセル・ブランドと交際。FENDIのショーにツーショットで現れるなどし、MTVヨーロッパ・ビデオ・ミュージックアワードの司会を務めた際には、ラッセルが大ファンであるウェストハム・ユナイテッドFCのチームカラーに「RUSTY」とラッセルの名前の入った衣装を披露。2010年1月に婚約を発表し、同年10月23日にインドで結婚した。夫のラッセル・ブランドが英国人であることから、イギリス国籍も取得するつもりであるという。 2011年12月裁判所に離婚調停を申し込み2012年2月正式に離婚。
(Wikipediaより)

アルバム『Teenage Dream』




アルバム『ティーンエイジ・ドリーム~コンプリート・コンフェクション~』




【ラッセル・ブランド】
イングランド・エセックスに生まれる。写真家の父親のもとに生まれるが、ラッセルが6か月の時に両親が離婚。母親に引き取られ母子家庭で孤独な少年時代を過ごした。学校で出演した寸劇でおもしろさに目覚め、演劇の道を志すようになる。しかし演劇学校の門を叩くもマリファナ・ヘロイン中毒やアルコール中毒が原因で何度も破門にされる。その後コメディアンを目指すことを決意し、イギリスでコメディアンとして人気者になる。最近ではアメリカにもその人気は広がり、2008年にMTVミュージックアワードの司会をつとめた。この司会ぶりが好評を呼び、2009年も続投で司会に抜擢された。(Wikipedia参照)

「出演作品」
  



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